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2018年4月22日日曜日

結構まじめな話

普段なんちゃって(笑)なブログばっかり書いてるので唐突に思われるかも知れませんが、唐突に結構まじめな話。

僕は人格の半分・・・いや3分の1くらいかな?・・・が哲学者なんです^^;。

哲学者ってのも色々定義や考え方があって「コレが正しい」って言えない部分がちょっともどかしいのですが・・・それを踏まえて僕の定義。

自分の考える「正しい道徳」に従って行動する事を第一義としていて、「損か得か」「支持を得られるか得られないか」というような判断に身を委ねない行動規範を持つ者

まあ、半分とか3分の1とか最初っから言い訳している時点で「徹底した哲学的生き方」を実践できていないと言ってるようなものだから、偉そうなことは言えないわけですが^^;。
ただ現実問題、現代社会でちゃんと生きていくためには「霞を食って生きる」ような生き方も難しいですし、多少の「欲」もあるから、「儲かりたい」とか「人から評価されたい」とか思ったりするワケです。
そのバランスの中で、3分の1くらいを占めている「哲学者的な行動規範」に背かないと自負できる程度に、現実との調和や妥協を図りながら生きる・・・それが僕の生き方・暮らし方・仕事の仕方なんです。

その事と、随分若い頃から「意固地」と言っても良いくらい頑固に我が道を行く的な生き方をしてきた経験とが相まって、今の僕の仕事や生き方を成り立たせています。

ナンでこんな事を突然書き始めたのかと言うと、ふと思ったからです。

もしかして僕の周りの方たちは、仕事でもプライベートでも、こんな風じゃないんじゃないだろうか?
やっぱり体制があっちと指させばあっちへなびいてしまい、世の中の多くがこうだと言い始めると自分もこうだといつの間にか言うようになり、いつも誰かの同意や誰かとの協業を求めようとする・・・それが普通の生き方で仕事の仕方なんだろうなあ・・・と。

それが自分の人生観・価値観・道徳観と一致していれば、大いにその生き方が良いんだろうと僕もそう思うんですけれども、最近の世の中はどうしてもそういう風に思えない。
素朴に子供の頃から「正しい」「良い」と教わり学び身につけてきた行動規範とは全く真逆のことをしなければ、世の中で支持を得られない、得ができない、仲間が増えないというのは、どうしても僕の一番最初の一歩の部分と反りが合わないんです。

どうしてそうなんだろう?・・・というか、どうして周りの人たちは「世の中で支持を得たい」「損したくない」「仲間がたくさん欲しい」という第二義的な欲求を目的化して一直線にソコへ向かうんだろう?
どうして、そういう世の中で僕だけ「それは違っている気がする」と密かに抵抗してしまうんだろう?

そう思った時に、ふと思い浮かんだ理由があるんです。その事を書こうと思って。

正しいと思ったことは、素直に正しいと考えるようにする。
そしてその正しさに従って行動すべきだと思ったら行動する。
そこに、何の制約も受けないし何者からの制約も受けない・・・それは自分自身からの制約も含む(自分自身の損得勘定や自己顕示欲みたいな第二義的欲求に縛られないという意味でもある)

ずっと「わが道を行く」的な行動をしてきた自分にとっては、「こうするべきだ」と考えたことをその通り行動するということに自ら足かせをかけるような事をするということが全く理解できず、フツーに「そのとおり行動すればイイじゃん」と思ってそれをやってるだけなんですけど・・・^^;
どうも、その行動の仕方は、周囲(=自分以外の主観)から見ると随分奇異に見えるらしく、最近その事を少し自覚し始めた(50歳でかよ、おそすぎるぜ笑!!と自ら突っ込んで見る^^;)ので・・・一度そんな事を真面目に書いておこうか?などと想った次第^^v

もちろん、自分のこの生き方が正しくてそうじゃない生き方が間違っているとか、そういう話に持ち込むつもりは毛頭なく、むしろ「あ、オレって心底変わった生き方してるんだなあ」と自覚して「もう少し他人様の違う生き方を許容する度量がなければ」と反省しつつ書いてるわけですが^^;

さあ、明日からまた忙しくなりそうだ。

あ、そのまえに光インターネットの回線速度改善、なんとかしてから寝なきゃ。

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