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2018年1月29日月曜日

数字を語るやつ、数字しか語れないやつ

仕事で企業の成績とか成果を測ろうという仕事をしていると、とかく「数字で表現しろ」「金額で表わせ」というプレッシャーが多方面からジャンジャンくる。

企業経営というのはボランティアでも慈善事業でもなく紛れもない「営利活動」なので、成果として「いくら儲かったのか?」「どのくらい成果が上がったのか?」を示すことが出来なければならない・・・というのがこういうプレッシャーのそもそもの根拠だ。

そりゃあ勿論、当たり前のこと。
教育とか、芸術とか、そういう仕事や職業の事を言ってるんじゃないんだから、叙情的な報告文章を書いてそれで良し、数字で表せる成果はないけれど頑張りましたなんて、そんな話が通るわけがない。(いや、もしかしたら教育や芸術という分野の方たちも、成果を数字で表すことはあるかもしれませんが・・・決してそれを否定しているわけではなく)
営利企業に関わって働いている以上、どんな立場の人でも「成果を数字として示せなければ何の意味もない」・・・これは僕の信念のひとつである。

けれども、ね・・・世の中短絡的というかちゃんと物事を考えられない人というのもいるもので、「数字で表現」という話になった途端に「数字が全て」と曲解する人のなんと多いことか。

企業経営(それが個人商店や一人親方の事業であっても然り)での成績や成果の数値というのは、ひとつひとつの小さな企業活動の集積を数で表現したもので、それがなぜ重宝されるかと言えば「簡単に分かりやすく表現されたもの」で「同じ基準で比較ができる」からだ。

1年間に1個25円の部品を40万個作って売り上げた1000万円
1年間に1台500万円の高級車を2台売った1000万円

どちらも売上額としては同じ1000万円で、数字として同じだ。だから「同じ売上だ」と分かるし比較ができる。
25円の部品を、40万と1個作って売れていたら1000万と25円
500万円の高級車をもう1台売れていたら1500万円
余計に1個作って売っても、片や1000万円とんで25円、片や1500万円。
どちらが余計に成果を上げたかは一目瞭然というわけだ。

こういう風に数字だけを抽出すれば成績や効率性みたいなものを「平等に」測って比較・評価することが出来る。
だから数字で表現するのが重要なんだ。
だから、数字をきちんと見て理解することができれば、企業の成績を測定して評価できる。

(誤解しないでもらいたい。数字で全てが分かるなどという不快極まりない傲慢を言っているのではない。数字を「きちんと見て」「理解する」それが出来たらその時初めて、数字が評価指標として意味をもつということを言いたいのだ、だから・・・)

けれども僕は、こういう「数字至上主義」的な評価を「企業支援としては最もやってはいけない程度の低い評価」だと思っている・・・これも僕の強烈な信念のひとつだ。

数字は確かに客観的な基準でものを測ることの出来る指標だ。
けれども、数字はどこまで行っても数字でしかない。それは、ひとつひとつの小さな企業活動を「一括りにして簡単に俯瞰したい」ために変換した結果であって、「活動の成果そのもの」では断じてあり得ない。そういう「数字の成り立ち」に対する理解の出来ない数字至上主義みたいな傲慢な者に数字を使って「評価」などできようはずがない。

25円の部品を40万個で1000万円という売り上げは、「機械の調子を確認しメンテナンスする人」がいて「原料となる鉄や金属の質を見極め一番良いものを調達してくる資材調達係の努力」があって、「夏の暑さで汗ダラダラになりながらも機械の稼働をコントロールし、凍えそうな冬の早朝から機械を温めるために早出してくる現場の責任者さん」がいて、「多少キツくても黙々と機械に向かっていろんな作業を延々繰り返す工員さん」がいて、そういう人たちの年間何百日もの黙々と続く作業の成果が積み重なって成り立っている。

片や500万円の高級車2台の売上は、「高級な車に乗りたいというお客様を丁寧にあたって見つけてくる営業マン」がいて「どういうサービスを付加して提供すれば買ってもらえるかを日々必死で考える販売企画担当」がいて、「購入した後のアフターフォローや技術的なサポート体制を万全に整えるための裏方さんのたゆまぬ努力」があってこそ、初めて高額な車の販売というものが成立する。

同じ1000万という成果の数字でも、日々何をしていて、日々なにに価値を感じて何を大切にしているのか?そして、どこへ向かって努力しているのか?・・・それはそれぞれの企業、それぞれの業種、それぞれの働く人によって全くことなるのだ。

40万個で1000万円の売上と2台で1000万円の売上・・・どちらの企業活動(企業成果)により価値があるのか?・・・そんな事は評価できるものではない。

どれ一つとして同じということは断じてあり得ない。全く同じ業種、同じ地域で同じ製品を売っていて同じ売上額だったとしても、違う企業であればその数字の中身は全くことなるもので、単純に「同じ業種で同じ売上だから同じようなモンだ」ということにはならない。

企業の成果を「数字で表現」するのであれば、その数値がどういう活動・・・日々のどういう作業・どういう動作・どんな会話・どんな考え・・・の成果でその数字になっているのか?を見極めた上で表現されているんだと理解しなければならない。
「数値」を理解するには、「数学的な理論」や「経済学・会計学的な数値理解」が出来れば良いなどというものでは全くあり得ない。
その数値を理解するには、「数」や「数の大小」では表すことの出来ない、超アナログ・超現実的な活動に対する生々しい理解が必要になる。そのためには数式や計算を解く力ではなく、物事の事象・現象のウラに横たわるロジック・原因や理由・関連性などを見極める理解力・言語能力が必要になる。

数字を語ることの出来る人は、そのことを徹底的に承知しているので「数字をこねくりまわす」ような言動を絶対にしない。

数字しか語ることの出来ない人は、そのことを全く理解できていないのでいつまでたっても「数字しか語れないヤツ」のままだ。

僕は、少なくとも僕の関わる事業経営者の方たちと、僕の関わる僕と同じように(あるいは僕よりもはるかに高いレベルで)企業の成果を支援し評価する方たちには、僕のこういう考えを理解して欲しいと切に願っている。

納得・・・は、してくれなくても良い。それはその人それぞれの価値観だし判断基準だ。
けど、僕はこういう風に考えているんだということを、ぜひとも理解して欲しいといつも思っている。

数字で表現された成果のウラには、数字を見ているだけでは逆立ちしても読み解くことの出来ない生々しい現実が積み重なっていて、その現実にきちんと向き合ってそこに自ら携わるからこそ、数字をきちんと読み解いて理解し、企業そのものを理解することが出来るのだ、ということを・・・。

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