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2018年1月30日火曜日

大脱走と帰りの電車とラスト2曲と教室の喧嘩と現在

つい最近、映画「大脱走」のことを友達と話していてふと思った。
あれは、いつのことだったんだろう?
「大脱走」は1963年公開の映画だと言うから、当然僕は劇場で観ているわけじゃなくて、少年の頃年末だったか、年始だったか、深夜のテレビ放映で何度か観た記憶がある。
3時間以上もの長編なのに飽きもせず最初から最後まで夢中になって観ていた記憶。

別の話。Facebookのメッセンジャーで友人と話していて、ふと思い出した。
大学受験・・・滑り止めの私立大学の受験を終えて都内から各駅停車の電車でひとり帰ってくる途中、乗り継ぎのために乗り換えた車両で偶然小学校の頃からの同級生の女の子と遭遇した。
シーンがシーンだったから「大学受験の頃だ」と紐付けられるけど、あの光景にあんまりびっくりしたもんだから、30年以上も前の事がなんかつい数年前の事のように思える。

そしてなぜか、そんな事を色々思い出しながらひとり飲んでいたら、僕が東京時代一番最後に一緒にやっていたバンドでのライブのラスト2曲目のソロ演奏のことを何故か突然思い出した(笑)。
あの時の集中力ったら、自分でも信じがたいほどの研ぎ澄まされたものだったなあ・・・と自分で感心したモノだった・・・んだけど・・・心情的にはなんだか随分昔のことのように思える。

そう言えば・・・小学校・・・あれは何年生だったかなあ?・・・放課後の教室でなぜかヒョロ弱い僕が珍しく同じクラスのわんぱくなヤツと取っ組み合いの喧嘩をしたことがあって・・・ナンでそんな事を思い出したんだろう?と思ったら、ああ、そうだ、その時放課後の教室にいた同じクラスの何人かの一人が、大学受験の帰りに偶然遭遇したあの子だったと紐付いた。

いや、ナンか昔話をしたくなったわけじゃあなく^^;。
何度思い返しても定まらない断片的な記憶。

大脱走を初めてテレビで観たのは、大学受験の帰りに同級生と遭遇した時より前だったのか、後だったのか・・・?
小学校の頃の教室での喧嘩の記憶なんて、それより遡ることさらに5年以上前のことなのに、何故か鮮明に覚えている・・・覚えているのに、その間のある頃の記憶は、殆ど甦ってくることがない。思い出そうとして記憶をたどれば、時系列に並べて列挙は出来るけど、こうして物思いに耽る時に僕の記憶の中に断片的に浮かんでくるのは、小学生・中学校の頃のいくつかの思い出と、大学時代の軽音楽部でのこと、5年目以降になってから一生懸命学び始めた学部での哲学のゼミのこと、その後出会った一番大切な仲間との数年間の体験、そして家庭を持ち人生を落ち着かせてからの16年間の記憶。

僕の感情や僕の人格は、僕の記憶の切れ端のようなものの積み重なりで出来上がっているんだと思う。大きかったり、小さかったり、きちんとしてたり、いびつだったり・・・

けど、その記憶には僕の「心情」が多分に影響していて・・・印象深いものがいくつも折り重なりながら、ふと冷静に分析すると、全く欠落している数年間というのがある。ものの見事に「印象に残らない数年間」だ。
そして、昨夜メッセンジャーでやり取りした友人との会話を通じて、自覚することが出来た。

僕は僕の経験してきたことと記憶に留めてきた事によって僕という人格を形成しているんだ、ということ。
それはつまり、心情的な重み付けのない記憶や経験は僕の記憶や感情にほとんど意味をもたらさないんだということ。

50歳・・・昔話や記憶を辿って楽しむ人生じゃなく、これから積み重ねていく経験と記憶を、自分の感情にきちんと留めて、それを楽しめる時間を豊かに、そして笑って過ごしていきたいなあ・・・と思う冬の夜

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