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2016年6月13日月曜日

狼煙

最近ふと僕自身のことについて思うことがあります。

Facebookでウン十年ぶりに交流再開した大学時代や小中学校時代の友人・知人・先輩たち。
音楽活動を通じて30年来付き合いのある仲間。
僕がこの仕事をし始めてから15年来の付き合いのお客様や取引先様。
その中でほんの一時交流のあった人たち。

きっとそれぞれ、僕という人間に対して持っている印象がぜんぜん違うんだろうなあと

小中学校の同級生や友人にしてみれば、きっと「お勉強の出来るいけ好かない優等生」に当時見えていたんだろうと思います。
実際そうとう不敵でイヤ~~な感じの印象だったろうと思います。だって、さ・・・(とととあぶねえあぶねえ)

・・・とそんなことを書くと、きっと大学時代の先輩後輩友人たちは「はあ!?あの岸本が?」と思うに違いありません。
大学時代の僕といえば・・・ん?僕といえば・・・?・・・どんな風に見えてたんだ?
まあ授業には出ないわ、練習の時間には遅れるわ、アホウなことばっかりやってるわで、とてもマトモな人間だとは思えなかったことでしょう(笑)

音楽仲間の間では、きっとただの大食らいにしか見えていなかったし(笑)。

なんてことをブログで書くと、僕という人間と仕事を通じてお付き合いいただいている方には、もしかしたら信じがたいかも知れません。

10代の頃、20代の頃、30代の頃、そして今と、多分僕は年を経るごとに周囲との接し方や普段の言動がどんどん変わってきている、そういうタイプの人間なんだろうと思います。
だからきっと、若い頃からず~~~~っと付き合いのあるごく僅かな友人にしか、「ナンでコイツはこうなんだ?」というのが理解できないかも知れません。

きっと僕は、自分という確固としたキャラクターを強烈に持っているわけじゃなくて、周囲の、特にその時その時に一番親しい友人たちとの関係の中で、自分のキャラクターを周りに合わせるというようなことをいつの間にかやっていたのかもしれません。

いやいや、けどそれは所謂いじめられっ子が仕方なしに周りに合わせて不本意な自分を演じるというような悲壮なものではなく、自ら望んでそうしたんだろうと自分でもそう思いますが(笑)。

じゃあ、お前のホントの個性・ホントの「らしさ」はナンなんだ?と・・・最近自分でもふと考えるようになりました。
僕という人間はどういう人間なんだろう?・・・いや言い方がらしくないなあ
オレってどういうキャラなんだ?・・・いやコレもナンか違う

う~~~んむむむむむ・・・

と、書きながら答えは出ないのに一つだけ分かったことがあります。

僕はとにかく「広く浅くいろんな事を」というスタイルがどうも苦手なんだよなあということ。
音楽を一生懸命やっていた頃も、やたらと色んな音楽を聴くというよりは、「ジョー・サンプル」っつったらひたすらジョー・サンプルばっかり。そこから共演するミュージシャン繋がりでどんどん広げていくということが全然無かった。
だからスゲ~~~ピンポイントで偏った音楽趣向なのはそのせい。

大好きでかじりついて読んでいた哲学書も(→一応哲学科なので、ね^^;)、カントとハイデッガーとハンナ・アーレントとゲーテの4つばっかりで、普通哲学好きや思想マニアたちが当たり前のように読むデリダとかフッサールとか、ヘーゲルとかスピノザとか、一文字も読んでない(苦笑)。

きっと、その時々に超ハマっているものに全勢力を向けてしまってそれ以外のことに全く関心がない、という生き方をしてきたんだろうなあと思ったりします。

・・・気づいたら49歳。不惑どころかまだ立ってもいない気がします(汗)

そんなことを、ふと綴りたくなった月曜日の晩。


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