HTML

2015年12月11日金曜日

正常と異常

1986年だからもう30年近く前になるのか^^
大学1年の時にどうしても学部の哲学概論の授業を受けたくて、受講届けも出してないのに教室の一番後ろの席で受講したことがあった。

今は倫理学者で京都大学名誉教授の加藤尚武先生の授業を一度受けてみたかったからだ。

その授業で「正常と異常」という話をされていたのを、最近の「異常だ異常だ発言」ニュースを聞いていて思い出した。
そして薄ら寒くなった。

「異常だ」と言う者の考えにはその逆の「正常」があって、そこから外れているから「異常だ」と言っていることには間違いがないだろう。
そして、生きている環境・時代・場所・立場が違えば、どこまでが正常でどこまでが異常なのか?という線引も違ってきて当然だ。
だから、ある人が感じている正常と異常の境目と、別の人が感じている正常と異常の境目が違っていたからといって、どちらが正しくてどちらが間違っているとは、言えない。
それは価値判断の問題なのだから。

同性愛者の結婚が正常なのか異常なのか?

そのことを考えたり議論するつもりは僕にはまったくない。
価値判断を正しいとか間違っているとか、議論することほど虚しくて自己満足的な話はないと思うし。

薄ら寒くなったのは2つのことにほぼ同時に思い至り、それが異様な感じに思えたからだ。
  1. 「異常だ」と言っている人は、当のご自分は「正常」の範囲内にいると思っていて、そのことについては微塵も疑っていないのだろう。
  2. そういう発言や行動をした人物やその報道を見聞きして「絶対おかしいよね」「なんて浅はかな」と非難する物知り顔な人たちは、きっとその自分の発言・価値判断については自分は正常な価値観を持っていると信じて疑わないのだろう。
どちらも、自分の価値判断については信じて疑わず、その妄信的な価値観を押し付けて他者に認めさせようと、外に向かって大声で表明している点では何の違いもない。

ある価値判断について大声で発言することは、別に悪いことでも何でもないはずだ。そこに「盲信」とか「思慮が全く欠けている」という事があるから面倒だというだけで。(だって、本人悪いと全然思ってないんでしょ?もう取り付く島もないないという感じだよね)

発言する人を糾弾して懲らしめるような言動は、何となく「誰かを餌食にして叩きのめす機会を待ってました!」とばかりの思慮に欠けた風潮のようで、これまたコワい。
そんな風潮が漂ってしまえば、そのうち世の中なにもモノが言えなくなってしまう。

正常か異常か?100人に訊いたら少なくとも100通り以上の答えが返ってくるのが正常で、「あれは異常だ」と言う意見をことごとく「おかしい」と糾弾するという風潮に、僕はとっても薄ら寒いものを感じた。

・・・え?じゃあお前はそのことについてどう考えるのか?って?
屁理屈ばっかりこねてないで、はっきり自分の意見を言ったらどうだ、って?

バカを言うんじゃありません^^。

ブログでそんな多様な価値判断のことを一刀両断にするなんて、そんな浅はかなマネは僕には出来ませんよ。
そーゆーのはローカルな数人の飲み会や親しい友人たちとの議論の中で表明すべきものです^^。

0 件のコメント:

コメントを投稿