心の定まっている人は余計な情報に触れない方が良いと思う。
数日前、NHK-BSで「永平寺」の特集番組をやっていた。
福井県の曹洞宗のお寺で、15年ほど前に観光で訪れたことがある。
この永平寺に入門してくるお坊さんたちの修行の様子とその心得をまとめた番組だった。
心の迷いを知りそれに向き合うことが禅の修行の第一歩だという。
座禅を組み、ひたすら自分の心と無心に向き合う・・・その行いを通して自分の心を知り、自分の迷いを知り、その先に「自分の体も心も自分のものではなくこの世界の一部としてつながっている」ことにまで想いが至る時に、色々な境地に進むことが出来るのだと。
僕にはそんな厳しく長い禅の修業はできそうにないと思ったけれど・・・見ていながらふと思った。
無心に向き合ってひたすら行うことで、心を知り迷いを知る・・・それは僕にとって「ピアノを弾く、キーボードを弾く」ということじゃないのかな?と
心がざわついた時、何かとらえどころのない不安や恐怖に飲み込まれそうになったときには、自然とピアノに向かって2時間も3時間も弾き続けて、そうやって心を落ち着けてきた。
今では、それが自分のルーチンになっている。
そうすることで、心がすっと静かに落ち着き、定まる。
定まると、色々なものに覚悟がつくようになる。
そうやって、心が定まってくると、それまで見聞きしていた様々な「情報」や「論評」が、不思議と全く気にならなくなってくる。
情報や論評から得られる知を取得しないというわけじゃない。
見聞きするたびに、考えが動き、心がぶれ、行動が右往左往していたザワついた感じが、全くなくなる、という、そんな感じ。
・・・心が定まらなくて、不安や心配や恐怖とどう向き合ったら良いのか、迷っている方は、色々な情報や論評に触れてみると良いと思う。
ちょっとしたコメントや論評に、グッと心が動かされることもあるかもしれない。
音楽や芸能の発するメッセージに心を打たれ、心が落ち着くことがあるかもしれない。
人それぞれ、どんな瞬間にどんな事に触発されるかも千差万別。発する方も様々な形・様々な想いを発信してるから千差万別。
けれども、そうやって心の落ち着きどころを探して、探して、見つけて、定まったら、もうそこから先余計な情報や余計な世間の動向などに触れて確かめる必要は無いのだろうと思う。
1000年も前から時代を越えて続く禅の修行・・・外界との交流を自ら遮断してひたすら自分の内面に向かうという行い・・・が、世界中に広まって認められているのは、きっと「心を保つのに世俗の情報は必要ないのだ」ということを如実に物語り、今の僕たちに訴えかけているのではないか?とすら思う。
仕事、ビジネス、商売・・・社会生活を良い環境にしようという以前に、人として豊かで良い生き方をすることのほうが大切なんじゃないか?と、そんなことを強く思いながら、心を落ち着かせるために、ピアノを2~3曲弾いてから仕事しようと思った火曜日の朝^^
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