それが「きちんと自己認識をする努力を伝える」ということ。
これには過去僕が体験した2つの経験が大きなルーツとなっています。
【1.当たり前のありがたさ】
10年ほど前から1年に一度、「障がい者雇用訓練のPC研修講師」というお仕事を勤めさせていただいています。ITコーディネータの本業とは少し離れたジャンルのものですが、講師という「教える方の立場」なのに毎年とても貴重な「学び」をいただくのがありがたくて、声をかけていただける限りずっと続けようと決めているお仕事。
この講師の仕事では、毎年かならずあることを痛感します。それは
僕が当たり前のようにできていることは、本当は当たり前ではないんだ
ということ。それは決して僕が優れていることを当たり前だと自慢しているというような、そんな話ではなく・・・
- マウスカーソルをピタリと目的のアイコンに合わせる
- 何気なく挨拶をしたときにニッコリ笑顔で挨拶を返す
- 床にしゃがみこんでパソコンの電源コードを抜き差しする
1.は右手あるいは左手がきちんと動かせるという前提があって初めて成り立つ。2.は人とコミュニケーションを取るための精神的な安定があって初めて出来る。3.は足腰と手先が正常に機能するからこそ出来ること。
障がいがあったり、精神的に安定していなかったりすると、こういった「些細なこと」のように見えることも、したくても出来なかったりします(そして、出来ないのが当たり前の状況の中で日常を暮らしています)。
肉体的にも精神的にも、大きなハンデキャップを抱えていないごく普通の人の立場からすると「些細なこと」。けれどもちょっとしたきっかけで身体的なトラブルや精神的なトラブルを抱えると途端に「一生懸命やらないと出来ない大変なこと」になってしまいます。
それはこういった「障がい」とか「精神疾患」とか「身体的なハンデキャップ」というコンテクストでない分野・・・仕事上でのコミュニケーションや、業務上の能力、日常生活の上でのちょっとした知識獲得とか会話・・・でも同じことだと、この10年の経験で強くそう思うようになりました。
【2.出来ていることは分からない】
もうひとつは、家電量販店勤めの時代に先輩社員から言われてハッとした話。
量販店勤めの時代、フロアマネージャーをしていた僕は、後輩社員やアルバイトの方たちに、「お客様とはまずニコニコ笑顔で気持ちよくコミュニケーションを取りましょう」という指導をしていて「こんなの、学歴とか能力とか関係ないですよね、当たり前に出来ることなんだから、皆さんとにかくココからスタートして自分のスキルを高めていって下さい」と話をしていました。
ところが、その様子を見聞きしていた僕の先輩社員があるとき「岸本は商売屋で生まれ育ってきているから、見知らぬ人が店に入ってきたらニッコリ笑顔でいらっしゃいませというのを自然に出来ると思っているかもしれないが、それ、誰でも出来ることじゃなくてそれはそれでれっきとした能力なんだぜ。そういうものを後輩やアルバイトの子達に教えてあげて欲しいからキミをフロアマネージャーにしたんだから、頼むよ」と指摘を受けました。
自分が当たり前にできて当然と思っていることも、自分以外の人にとって見れば「優れた能力」と評価されることだってあるんだと、ハッとさせられました。
ハッとさせられたのは「オレってすげえ」と満足したと言う意味ではなく、「そういう事をきちんと自己認識できずに、そんなの当たり前でしょ?と言い放っていた自分の浅はかさ加減」に、です。
【出来ない事をどうして出来るのか分からない】
実は僕には、多分普通の人はいとも簡単に出来ることなのに、どうしても簡単に出来ないことがいくつかあります。分かりやすいものを一つ挙げると、「人の名前と顔を覚える」ということ。
交流会とかセミナーなどで初めてお会いして名刺交換した相手の方とか、仕事で訪問した先の会社の社長さんとか・・・そういう方の名前と顔を覚えるということが、本当に大変でなかなか出来ないんです。
先日も、あるフェア会場に来賓としていらしていた方にご挨拶に行こうとして・・・その方とは2週間前に一対一で面会させていただいて名刺交換までした方なのに・・・数名いらした来賓の方のうち、どの方がその方なのか分からずに、結局ご挨拶できずじまい、というようななんともトホホな体験をしました。(結果的にこれは相手の方が僕の顔を見てすぐ「あ、岸本くん」と声をかけてくれたのでご挨拶ができましたが)
僕の場合、こんなことがしょっちゅうなのです(T_T)。
どうして、優秀な営業マンの方とかが、たった一度数時間お会いして名刺交換しただけの方を何週間も後にすぐ名前と顔を思い出せるのか?・・・ホントに全くわけがわからない(T_T)
【自分の「当たり前」は世間の「当たり前じゃない」かも】
最近、周囲の何人かの方から僕のことを「頭が良い」という表現で評されることが続きました。(←何度もしつこいようですが、その事を自慢したいわけでは微塵もないのです)
もしかしたら、僕は確かに人様より少し理解力が良いのかもしれません。普通に本を読んだり新聞を読んで「何を言わんとしているのか分からない」と読解に苦しむことはあまり経験したことが無いように思えますし、人様の話を聞いていて「話している内容が理解できない」というようなことは今まであまりなかったような気がします。
・・・と、こんな風に書くと「頭の良い事を自慢している」みたいで鼻持ちならないという感想をお持ちになるかもしれませんが・・・一方で僕は、フツー誰でも出来そうな「合った人の顔と名前を忘れないで覚えておく」ということが、普通の人に比べてことごとく劣っているのです。
僕は、僕という人格と自分自身の肉体的精神的能力を通じて世界と接しているから、自分にとって普通に出来ることは「当たり前だ」と思うし、出来ないことは「普通には出来ない特別なこと」のように思うんでしょう。
一流のアスリートの方にしてみれば「呼吸をするのと同じように体の基礎トレーニングを365日毎日続ける」のなんて当たり前でしょう。
評論や解説を仕事とする方が毎日新聞を5紙も10紙も読み込むというのなんて当たり前中の当たり前でしょう。
足の不自由な方が「階段の上り下りに人の3倍時間がかかるから、仕事に出かけるときには毎朝人より1時間早く出かける」ようにしてるのだってその人にとっては当たり前かもしれません。
メタボリックシンドロームを解消しようと必死な方は毎朝一生懸命ウォーキングをしたり仕事終わりにランニングをしたりするのを当たり前のようにやるかもしれませんが、僕は何度トライしても三日坊主になってしまいます(T_T)
【当たり前に良くできる事もあれば、ダメなことを当たり前として見過ごしてることも?】
こんな風に、「自分にどういう能力や素養が備わっていて、どういう部分が世間一般に比べて劣っているのか?」って、案外自分では分かっているつもりで分からないことが多々あります。
よく自分を見つめ直して(あるいは仕事的に表現すれば、客観的に自社の能力や環境を分析して)、当たり前と思っていることを当たり前とせずに、ひとつひとつ丁寧に自己認識していくことは、もしかしたら何よりも大切な事かもしれない、と僕は思うのです。
家人から最近こんな指摘を受けました^^;
「人と話をする時に相手の話や意見を、なんでも先回りして知ってる知ってるみたいに反応するのは人を不愉快にさせるから直したほうが良い」
・・・確かに、僕は人と話をする時になんでも真面目に受けて自分の知識を全部フル回転して反応しようとするので、「へ~~~そうなんだ、知らなかった」とか「そうだね、そうだね」という共感・傾聴ということを当たり前に出来ていません^^;
そんな事をひとつひとつ自覚・認識していくことが、「ひとりの人として」というコンテクストでも「企業・事業体としての成長」というコンテクストの中でも、とっても大切だなあ、なんていうことを、今の自分の仕事をしていて心底思ったりするのです。
自分が(自社が)、どういう環境・どういう能力・どういう課題の中で行きているのか(経営しているのか)?・・・丁寧に自己認識してそれを糧としてより高い次元・より成長を目指す。それをお手伝いするのが僕の仕事の一つでもあると思うので、それでこんな事を長々と書いてお伝えしたりすることもあるというわけです^^
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