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2018年8月13日月曜日

存在と立ち位置と当事者意識

マルクスガブリエル。
自分よりひと回り以上も若い哲学者にこんなに感銘を受けるとは、半年前は思いもよらなかった。

全て存在するものは何らかの「意味の場」において現象してくるのであって、現象してくることを前提としないものは存在すると言えない。
(少しニュアンスが違う気がするけどだいたいこんな感じ)

哲学の思索としてももちろん非常に興味深く、カント、ゲーテ、ハイデガーなど僕の過去に読みふけった哲学書と照らし合わせてとても刺激を受けた。
けれど同時に、自分の仕事や普段の暮らしの中に潜む「ふと陥りがちな誤謬」を鋭く指摘してくれるものとしても、とても参考になる考え方だった。

物事を俯瞰するときに、ふと「そこに自分はいなくて、バードアイのような立ち位置で上から見下ろせているような気になるけれど、そんな立ち位置に現実に立てることはないのであって、実際にはまさにその俯瞰される場の真っ只中にいるはずだ。
人生を顧みるときにも、仕事で支援先の状況を確かめるときにも、「当のその場から離れて高い位置からモノを語るような立場を取っても何の意味も価値も生み出さない」、、、そんな風に自分の言葉と思考の中で置き換えた。

もちろん、そんな矮小すべきテーマの話ではないことは理解しているつもりだ。
けれども、僕にとって哲学とは「思索のための思索」ではなく「自分にとっての自分自身の人生を生きる価値を高めるための指針」である。

哲学することが僕の人生の大きな愉しみであり価値であると同時に、それを現実の社会生活の中へ落とし込むという作業もまた、僕にとってはとても価値のある行いだと思っている。

「なぜ世界は存在しないのか」
一見刺激的で挑戦的に聞こえるタイトルのこの書は、そのタイトルとは裏腹に、哲学が「哲学のための哲学」に陥ることに警鐘を鳴らし、真に哲学が取り扱うべきテーマに対する様々な過去のテーゼに丁寧に答えながら新しい哲学観を提供しようとする、とても良い著作だと思った。

同時に「平易な言葉で翻訳されていて、哲学的な知識や素養の深い人でなくても、じっくり取り組んで考えることの楽しみを味わえる」という、非常に良い翻訳でもあると感じた。

この夏、収穫できたものの多さ深さにしみじみと思いを馳せる、少し涼しい夏の夜。

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