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2018年4月10日火曜日

感謝^^

いつの頃からだったろうか?
「死なずに、無事に行きていられるということは奇跡的なことなんだ」ということを強く感じるようになっていました。

多分、一番最初は小学校2年生か3年生の頃だったと思います。
同級生が学校帰りのバスで事故に遭い、次の日にはもう亡くなっていた・・・彼が事故にあったその時刻に僕は、家で友達と遊んでいたんだと思うと、幼心になんとも言えない気持ち(今にして思えばそれを無常というのでしょうが)を抱いたのが原体験だったような気がします。

その頃から、こんな事を思うようになりました。

生まれてからちょうど1年目の日に赤ん坊は「1歳」になる。
ということは、1歳というのは「1年間生きた後に訪れる日」のことだ。
だから誕生日というのは「その年齢までの年数分を生きた」という事を示す日でもある。

そういう事を明確に心に思うようになったのは、確か20歳くらいのときだったと思うけど・・・

以来、僕は「誕生日」というのを「1年前の誕生日から今日まで、無事生きてこられたことに感謝し、この1年間僕を生かしてくれた色々な方たちに感謝する日」と思うことに決めています。

おかげさまで、今日4月10日、51歳の誕生日を迎えました。
つまり、まる51年間、無事生きてこられたということです。

身体も、心も、魂も、生まれてから長い年月の間に色々な成長と衰退とトラブルとブレイクスルーを経て、自分の見たもの・聞いたもの・体験したもの・食べたもの・受けた愛情や恩に生かされて今の自分があります。
今の自分を無条件に全て肯定することは恐れ多くて出来ないけれども、これまでの様々な経験があったからこそ、今こうして恙無く生きていられるんだと、そう思うようにしたい。

満年齢51歳。
数え年て52歳。

51年生きて52年目に突入する今日、ふと壁にかけた暦の言葉を読んで心に沁みました。

感謝で生きられるか、不平不満でつまらない生き方をするか、全ては自分の心次第。
さあ、これから新たな1年を、またたくさんの感謝で過ごせますようにと願う、51回目の4月10日。


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