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2018年2月8日木曜日

ジオングは嫌いなので僕は僕の道を行く

Facebookでは意図しない友達でもない人のTLや意見・リアクションを強制的に見せられたり通知されたりして、なんか違和感を感じるという話を、そのFacebookの中でつぶやいた。

けど、その後風呂に入ってのんびり考えているときに、突然その考えは自分の普段の考えと真逆で間違っている!ということに気づいた。

ネットでコミュニティを形成し、リアルではつながることの出来ない相手とつながるというのは、僕にとっては現実社会での人付き合いやコミュニケーションと同じくらいの豊かさで価値を持っていると思ってる。

実際、20年も30年も音沙汰なしにしてしまっていた大学時代の先輩・同輩・後輩(後輩はほとんどいないんだけど^^;)と交流できるようになったのもネットのおかげ、SNSのおかげだ。

リアルな現実社会と同様、豊かなコミュニケーションのすぐ脇に「しち面倒臭いもの」「見たくもないのに強制的に見せられる勘弁してほしいもの」がゴロゴロしているのは、むしろ当たり前の話なんだと・・・そう思ったら、一度は「なんかイヤだよね」と呟いたことが、別にどうでも良くなってきた。

SNSではとかく「自分の心地よいもの」「自分にとって聞こえの良いもの」「合理的で効率のよいもの」「ラクなもの」ばかりを周りにはべらせて、面倒なことやウザいことから遠ざかったり自ら排除したりして「自分の好みだけ」に純化しようとする向きが多い・・・それば僕もついさっきまで同じだった。

けど、人間て、本来面倒くさいこと極まりない生き物だ。そしてその人間の作る社会なんて、理にかなったものとか効率の良いものばかりで出来上がるものじゃあない。むしろ意味のないもの・面倒なもの・ナンの役に立つのかわからないもののほうが圧倒的だ。

そう、人間なんてララ~~ラ~ララらラァ~ラ~~・・・いや失礼、人間の作るコミュニティなんて本来面倒くさいことの積み重ねだ。

ファーストガンダムの最後の方、ア・バオア・クーで登場したジオングに搭乗するシャア・アズナブルが初めて見たときに「脚が無いな」と言ったら整備士だったか誰だったかが「モビルスーツに脚なんか必要ないんです。本来の目的から考えたらこの方が合理的です」というセリフを吐いていたのを今でも覚えている。

僕はジオングは嫌いだ。

理にかなってると言われても、脚のない人間型ロボットなんてかっこよくもなんともないから好きになれない(いや、ジオングはちゃんとストーリーの中では脚の付いた完成形が出来るのだが^^;)。

けれども、世の中のSNSに参加している人たちは、そういう風にSNSでの付き合いは「面倒なのが大前提で、ウザいし嫌気がさすことだって当たり前にある」とそこを許容してそういう受け入れ方をしているだろうか?
そう考えたら、正直言って「NO」だと思う。

少なくともFacebookでは「同じ趣味」「同じ地域」「同じノリ」の人たちが大なり小なりグループを作ったり友達同士で盛り上がっていて、そこに面倒くさいヤツが入ってきたり、異を唱える言動の人間がいると、ス~~~っと波が引くようにコミュニティがなくなる、または排除される。

多分、つまるところ世間ではネット・SNSは「ラクで心地よくて面倒なことがない」ことが大前提になっているんだ。
つい30分前まで僕もそうだったから、よ~~~~く分かる(笑)

けど、それが(自分にとって)非常に浅はかで考え違いだったことに気づいちゃったから、Facebookは面倒くさいSNSなんだという路線で行こうと思う。

面倒くさい人のタイムラインを見せられたり、入りたくもないグループに入らされていても、ネットだからと簡単に切ったり抜けたりせず、そのたびにチマチマと非表示にして、未読のままスルーして、のらりくらりと漂いながら自分の考えだけは絶対に曲げずに静かにそこにいようと^^;

そして、こういう考えやこういうSNSとの向き合い方は、きっと誰にも受け入れられるものではないと思う。
そう、僕自身が面倒くさい、フツーにSNSやっている人からすると「ナンだこいつ、面倒くせえなまったく、はいはいブロックブロック」と排除の対処になるんだろう。
それでいい。

ジオングみたいな理にかなってりゃかっこ悪くてもイイみたいなのはキライなので、僕は僕の思った向き合い方で行こう(笑)(笑)(笑)


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