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2017年12月28日木曜日

魂だけは渡さないぜ(笑)

毎年、12月の末に想いを綴ることにしている。
この一年が自分にとってどういう一年だったか、それを記しておくためだ。

今朝、ふと「よし、今日書こう」と思い立って・・・そう言えば毎年12月にはどんなことを書いていたんだろう?と、以前の12月のブログを読み返してみた。

「分かってる人」
「正常と異常」
「前へ」
「不惑・覚悟・再起動」
「祈」

自分が過去綴った想いを読んでいるうちに、とても恥ずかしい気持ちになった。
いや、自分の書いた日記がこっ恥ずかしいと、そういう話ではない。

この1年、俺は変わっちまったなぁ~~~、という気持ちだ。

損得でモノを考えることほど下衆なことはないと、そう心から本気でそう想っていた自分は、この一年でいったいどこへ行ってしまったのか?

いや、その事に自分自身も薄々気がついていたんだろうと思う。
今年後半に入って、気がつくべき機会は何度となくあった。
それを、忙しさにかまけてスルーしてしまっていた気がする。

そんな自分に対する自戒の想いを噛み締めながら「ここで逃げてはいけない」と、真正面から自分の綴った日記をじっくり読んでいて、気がついた。

きっと、このタイミングでこの行動をしたのは、何か意味があるのに違いない。
そう言えば、なんとなく自分らしくない仕事の仕方をしているという想いを抱え始めた同じタイミングで、随分長い間忘れかけていたいろいろなものと再会する機会が増えた気がする。

そのことにも気がつかなければいけなかったのだ、と。

10年、20年の歳月を経て、少しずつ、少しずつ形を変えながら今の自分の暮らしや仕事が出来上がってきた。
30年前に想い描いていた未来とは、随分違うカタチになっている気がする。

20代の何も知らない若僧が想い描いていた社会・仕事・家族・自分・・・30歳になり40歳になり、少しずつ「全てが想い通りになるわけじゃない」ことを知って、すこしずつすこしずつ、現実路線へ軌道修正しながら歩んできた30年。

けど、50歳、30年目の年末にふと想いを新たにした。

現実はままならないことばかりで、思った通りにならないことばかりだ。
けれど、それが何の理由になる?
「想い」をあきらめる理由にも、「想ったとおりにならない」言い訳にも、ひとつもなりゃしない。

ひとつだけ、現実社会を歩んできて獲得した経験則がある。
それは「やめなかったヤツ、最後まで続けたヤツが一番強いんだ」ということ。

その唯一の経験則を、今の自分の「想い」にちゃんと当てはめてやろうと思う。

2017年、忘れかけそうになったモノを最後の最後で思い出した。
2018年、いやその先もずっと諦めないぜ^^

頑固と言われようと、アホだと言われようと
もっと上手にやればイイのにと笑われようと

魂だけは渡さないぜ(笑)!

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