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2013年5月22日水曜日

悲しいかな僕らは「人間中心・人間優先」で生きることを前提としている

「飼い犬にリードを付けずに散歩する飼い主が増えていて迷惑」

そういうニュースを数日前に読んだ。
話はこうだ。

孫と歩いていたら不意にリードのついていない犬(小型犬)が走って近寄ってきた。
犬が嫌いで怖がりな4歳の孫は近寄ってくる犬が怖くて軽くパニックになった。
すぐ飼い主が近寄ってきて「驚かせてしまったみたいでごめんなさい」と言ってきた。
一緒にいた4歳の子のおじいさんはその飼い主に「ちゃんとリードを付けて下さい!」と強い口調で言った。
そしたらその飼い主は驚いた様子を見せた後不満顔で何も言わず立ち去った。

でニュースというかその記事の論調はというと

小型犬をファッションのような感覚で飼っていて、リードをつけずに散歩したり遊んだりする飼い主が増えてきている。
けれども、犬を怖がる人にしてみれば、それは迷惑千万な話で、そういう周りの人に全く配慮しない犬の飼い主の見識を疑う。

という感じの話。

ここから先、ブログ記事を書く前にひと言だけ先に言っておくと、僕自身は「飼っている犬を外に連れ出す時にリードを付けない・首輪を付けないなんてあり得ない!」と思っています。それは犬と一緒に暮らす人間として、絶対やっちゃいけない事だと思う
リード付けずに犬を散歩させるなんていうヤツは、たとえどんな事情であろうと犬を飼う資格なし!上記の話で「リードつけてよ!」と強く言ったおじいさんの気持ちは至極当然のこと。

と、いう考えを持っているということを前提とした上で

悲しいかな、僕らは(僕も含めて)人間中心・人間優先で生きることを是としているんだなぁ~。

犬の飼い主の立場に立ってみれば、「犬」と言えども家族同然。
「飼っている」のではなくて「一緒に暮らしている」んだと言いたい人も大勢いると思う。実際僕もそうだった。亡くなったGOのことをブログに書いていた頃、「飼っている」とは絶対書きたくなかったから「一緒に住んでる」とか「暮らしてる」という風に書いていた。

そのくらい、犬を家族同然と思っている人は多い。
そういう思いの立場の人にとってみれば、「一緒に住んでいる家族と外へ出かける時に、その家族に首輪つけて紐で引っ張るようなマネはしたくない」と思う人もいるかもしれない。
「飼っているペット」じゃなくて「家族」なのだから・・・

「家族」に対して・・・もし4歳の子供に対して「いつ不意に道に飛び出すかわからないし、いつイタズラをして人様に迷惑かけるか分からないから首輪つけて紐で縛って外出しろよ」ということになったら?
当然、「そんなバカなことをする親があるか!」と怒るだろう。

けど、「滅多なことでは他人に危害を加えない、大切にしている家族」という観点では、賢い犬と幼い4歳児・・・大した差はない(→実際、ホントに犬と24時間365日一緒に暮らしていればそれが実感できる)

「犬にはちゃんとリードつけて走りだしたりしないようにしろよ!」
そう言うのなら「その4歳の子供にもリードつけるなりナンなりしないのか?」という事になって良いはず。たまたま上記の話では犬が子供に対して走り寄って行って怖がらせたが、逆だって十分考えられるのだから。

けれどもそんな屁理屈は、実際問題通用しない。

なぜか?
だって4歳児は人間で、ワンコは犬だから。

悲しいかな、僕らは人間中心・人間優先でモノを考え、価値観を構築し、人間最優先で生きることを無条件に受け入れて良しとしているんだなぁ~。

そのこと自体の良し悪しという価値判断にまで言及するつもりはないけれど・・・僕らはこのことをきちんと意識して社会の中で生きるべきだと思う。

人間は、人間にとって好ましい環境と価値観を大切にすることを行動の大前提としている、ということを。

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