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2016年7月20日水曜日

感性

Twitterつながりのある方の奥様が編集されている写真誌を買って取り寄せてみた。


一冊まるごと、風景写真のことばっかりという雑誌。

何となく「美しい写真」「上手な写真の撮り方」を実際に本で見て読んでみたいと思って買ったんだけど、届いてすぐにパラパラとめくっていて思った。


そうか、こういう写真を味わうことが出来るか?も、またこういう写真を撮る事ができるか?も要は「感性」の問題なんだな、と。

「感性」をこんな風にブログで語るのもまったく恥ずかしい話だけれども、本当にそう思って綴っておこうと思ったのだ。

かつて一緒にバンドをやっていた知人が、事あるごとに「良い音楽をやろうと思うのなら、美しい風景や絵画を見たり、たくさん楽しい想いや悲しい想いをしたりして、心を豊かにすることがとても大切だ、そうすることが感性を磨く一番の方法だ」と言っていた。
その時はなんの躊躇いもなく「ウンウン、その通り、まさにそのとおりだ!」と頷いていたけれど、その意味の深さに、この歳になってこの写真誌を見て、初めて理解を深めた気がする。

音楽は長い時間と心の動きを、一瞬の時間の中に表現する芸術だ。
時間と空間の中に自分の内なる感性を放つことで、感情やメッセージや様々なものを伝える。

写真や絵画は、一瞬の時間や空間を切り取って留める手法の芸術だ。
うつりゆく風景や空気感の中のほんの一瞬を捉えて、写真や絵の中に留めて伝える。

僕はこれまで、音楽という表現方法の方が難しいのだと思ってきた。
自分の中にある情景や感情を、音とかハーモニーとかリズムという移ろいやすく二度と取り返すことの出来ないもので表現しなければならないのだから、と・・・

けれども、この風景写真の一枚一枚を見ていて、なんだかそんな風に思っていたことが、大切な部分で違っていたのかもしれないと思うようになった。

瞬間で表現をしなければならない難しさ、繊細さも
瞬間を切り取らなければならない難しさ、繊細さも

漫然と心を横たわらせているだけでは表現できない・・・どころか表現するべき内実も情景も持ち得ない

外界の風景や音や匂いや皮膚を伝う感触のひとつひとつを、「いつもと同じ変わり映えのないモノ」と受け止めずに、ひとつひとつ、新鮮な世界として受け止めることが出来て、初めて表現すべきものが内なる世界に照射される。

この写真と同じ風景の場所に立って、僕はこの写真を撮った方と同じようにこの美しさを感じることが出来るだろうか?

その感性が、歳とともに、暮らす環境の変化とともに、鈍ってはいないか?
そんなことを自分に問いかけながらページをめくって進んだ。

最後までパラパラと流し読みして、思った

この雑誌を、じっくり何ヶ月もかけて味わってみよう
そして、身近なところにある美しいものを見つける努力をしてみよう

そうすれば、少し遠ざかってしまったような寂しさを覚えていた瑞々しい感性というものに、また近づけるような気がした。

折しも梅雨が明けたばかりだ。
さあ、茹だるような暑さの日常に、どんな非日常を見つけることが出来るか?

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