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2016年6月16日木曜日

経験値

もうだいぶ前に流行った有名な画像。
このドレス「青と黒」に見える人と「金と白」に見える人がいる、という話でひと頃ネット上で盛り上がりました。

最近「色についての認識」について再び考えるようになってふとこの話題のことを思い出したのです。
確か、このドレス実際には金と白のドレスなんだけど、周囲の色合いや光の具合、見る人の認識の仕方によってどう見ても青と黒にしか見えない、ということがあるのだという話だったと思います。(逆だったかな^^;?)

どっちが正解だったかはともかく、僕がこの話を思い出したのはあの頃「本当はどっちが正解なんだ?」という発言をする人が結構いらした、ということに焦点を当てたから。

「本当はどっちなんだ?」・・・俺は青と黒に見えるけど金と白に見える人もいるという、正しいのはどちら?本当は何色?

そう発言する考え方の裏には、「誰かが見た主観の結論ではなく客観的に正しい真実があるはずだ」という前提というか知らず知らずにそう思い込んでいる思考範疇のようなものが見て取れます。
もう少し踏み込んで広げて考えれば、「自分にはこう見えるが、自分の感覚には誤謬や勘違いがあるので信じるわけに行かない。どこかに誤謬や勘違いのない普遍的な正しい答えがあるはずだ」、とまあ、こういう感じの「根本思想」みたいなものがあるんだろうと思います。

もちろん哲学的な意味での「客観」というものを僕も否定するつもりはありませんと先に書いたうえでですが・・・

自分の感覚や主観よりも、寄って立つべき普遍的な統一見解のようなものがあると考えるのは、今の世の中を生きるのにそれほど大切なことでしょうか?

いわゆる道徳観とか良心・良識のようなものはともかくとして・・・自分の見聞きするものの識別や判断を、自分の物差しで測る前にまず「世間一般正しい見方はどれだ?他の人はどう思うの?」とそっちばかりがすべてかのように世間や周囲を気にするのって、どうなんでしょう?
世間一般とか法律とかそういうものにばかり当てはめて判断基準を自分ではない他者に委ねる考え方・行き方に慣れてしまうと、いつか怖いことになるのでは?とそんなことも考えちゃったりなんかして。

まずは自分の感覚や主観、自分の経験にもとづく判断というのを大切にして、そこからものの見方や行動の仕方について反省するなり確かめるなりすべきでは?
子供や社会的な経験値の少ない若者なら「何か頼るべき指針」が必要かもしれませんが、30年も40年も生きてきて色んな経験をしてきている大人であれば、まずきちんと自分の見方・考え方でもって物事を判断することを大切にすべきだと思うんです。

・・・あ、あれれれれ?
ナンで一着の服の色から生き方の話なんつー大げさなことに話が発展するのかわかりませんが^^;

そしてまたもや朝から長々とした文章になってしまいました(汗)

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