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2012年9月24日月曜日

文化の価値って何?

富士山を世界文化遺産に登録してもらうために様々な整備や活動を・・・ということで色々な動きがあるようですね。

先日、テレビで白糸の滝の滝壺のとこにある売店が閉鎖(撤去?)になったと報道されていました。
富士宮のなんとかという神社の近くのお店だか、土産物屋さんだか・・・も登録へ向けた様々な整備や活動の煽りを受けて閉店に追い込まれそうだとか、そんな話も聞こえました。

ふと疑問に思うこと。

「文化遺産」って文化的に価値があるから、それを残しましょうという主旨ですよね?

文化って何なんでしょう?文化の価値って何なんでしょう?

世界的な機関に登録してもらうために、まさにその「登録してもらうべき地に住んで生活を営んでいる人たちの生活を様々に規制する」

それって、おかしいんじゃない?と思います。

コレ以上人間が開拓したり作り変えたりしたら、自然が壊れてしまうから、世界でもまれに見る希少価値の自然を残すために遺産として登録しましょう。(→コレって「世界自然遺産」の趣旨ですよね?)

それなら、
「そこに住む人もちょっとは協力してよね。」
「多少不便でも、自然を破壊しないための措置なんだから、そんなとこに建ってる建物は壊すか、使わないようにするか、しないとね」
という話は分かるんです。

けれども、ね

「文化」って、そこに住む人たちが、生活や営みの中で自然と様々に向き合いながら作り上げて来た歴史や、商業や、街並みや、風景のことでしょう?

「外からの強引な開発や施設建立を規制する」というのなら分かるんですけど・・・「そこに住んでいる人たちの生活や営みを奪ってまで、登録してもらえるように整備する」って・・・どうなんでしょうか?

近いようで、実はあんまり密接に関わっているという実感のない場所に住んでいるから、情報ばかり入ってきてこういう思いになるのかもしれませんが・・・

なんだか、「世界文化遺産に登録する」事が大命題で、「貴重な文化的背景や歴史を守る」という事はそっちのけ?・・・ず~~っと昔の遺された「文化的価値」は守るけど、「今作られている文化」は意味ないから壊すとかやめさせるとか・・・そんな風に見えてしまうのです。

世界遺産登録して、富士山のゴミが減るのかなぁ~?
世界遺産登録して、富士山とその周辺に住む人が文化的に守られるのかなぁ~?

忍野八海のみやげ物屋さんや食事処を見て、あの様変わりが「観光地の活性化」であり「文化的な価値の発信だ」と、本当にみんなそう思っているのかなぁ・・・?

今日、素朴にふとそんなことを思いながら車から流れてくるラジオの番組を聞いていました。


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