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2012年7月28日土曜日

「続ける」努力をしないと練習すらできない

2ヶ月ほど前から、ピアノの練習を必死になってやってます^^
子供の頃から慣れ親しんできたピアノ・キーボード。

僕は自分でも決してピアノが上手いとか音楽的なセンスが良いとは思っていませんから、元々素質のある方とか、すごく良いセンスや才能を持っている方のようにはなれると思っていません。

けれど、この年になって「せめて今よりももっと上手くなりたい」と思うようになって、一念発起、ちゃんと練習をすることにしたんです。

センスや才能がなくても「すっげぇ~たくさん練習すれば、そこそこ弾けるようにはなるハズだ」と思っていて、そのことは信じて疑いませんでした。

ところが・・・

「すっげ~たくさん練習すれば」なんて簡単に考えてたけど、「すっげ~たくさん練習」なんて、簡単に出来るもんじゃない、ということを痛感させられました。

時間がないとかそういう話ではないんです。

十分に時間があって、やる気があって、ピアノに向かって練習はじめても、最初は10分と持たない。

「弾く」ことが大好きで、ピアノを自由に弾いてイイというのなら何時間でも弾いてられると思っていたのですが、練習しようと思って始めると、それすら続かない。
モチベーションを保ちながら一生懸命続ける、ということのハードルの高さを痛感してしまうのです。

つくづく身にしみて感じました。

鍛錬とか努力とか、練習というような作業って、積み重ねて継続しないと「簡単な作業を繰り返す」ことすらままならないのだ、ということ。

けれども2ヶ月とにかくやってみて発見^^

続けていると、最初のうちは「続ける」ことすら出来なかった練習が、いつのまにか30分、1時間、2時間と続けられるようになるモンですね。
いえ、たった2ヶ月で「上達」なんてしてません(苦笑)。けど、最初は10分もしないうちに飽きてしまっていた練習が、2時間くらい頑張って続けられるようになってきてるんです。

あ~~、そうか、こうやって「地道に続ける」という行為そのものも、「続ける」という訓練を積み重ねなければ出来ないんだな~、とあらためて思いました。

仕事でもそういう事で思い当たることが多々あります。

「集中力が続かない人」「何に対してもやる気を持とうとしない人」ってよくいますけど、アレって、「本人の素養」とか「やる気」の問題じゃあないんですね。

ただ単に「コツコツ続ける」という努力をしたことがないのか、あるいはそういう努力を怠った結果、そういうことに陥ってしまっているんだなぁ~と。

「鍛錬」という言葉のように、ひたすら何度も負荷をかけて鍛える、という作業が、ピアノのような趣味の世界にも、仕事にも、そして普段の生活そのものにも、必要なんだなぁ~と、最近あらためて感じているKissyです。


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