12月になって、「今年のまとめ」とか色々なシーンで見聞きするようになった。
と思ったら、初旬に僕のFacebook上でも「岸本圭史さん、あなたの2019年のまとめ」とかなんとか言って、今年の投稿のダイジェスト版が自動で作られてた。
公開しますか?
なんて聞いてくるから、ノータイムで断って削除した。
Facebookは、普段会えない知人や友人、大切な仲間とのコミュニケーションにとっても便利なツールだ。
縁遠かった先輩や同輩・後輩ともご縁を復活させてくれたり、その機能はとっても重宝している。
けど・・・さ・・・FBなんぞに「あなたの2019年まとめます」と言われた瞬間
自分の1年間という時間を、どう捉えてどうまとめるか?・・・そんな大切なことをITやAIにまかせて作ってもらって、「わあ楽しい」とかバカ丸出しで言うほど、そこまでオレは堕ちてないぜ?と強く反発する気持ちが沸々とわいてきた。
短時間で効率よく、正確に情報を整理して判断する。
そういう能力がすでにヒトのそれを遥かに凌駕することはよく承知している。
効率と経済性と正確さが求められるシーンでその能力を発揮してくれるのなら、それは大いに結構、むしろ進んでその恩恵に預かりたい。
けれど、「自分の人生の1年間」という何ものにも代えがたい時間とその価値を、誰とも分からないどこぞのAIなんぞに、取捨選択してまとめてもらうなんて、そんな寂しくてつまらないことなんぞに乗っかる気持ちなんか、1ミクロンも持ち合わせていない。
オレの人生はオレの価値観とオレのこれまでの必死に生きて培ってきた念持で決める。
オレの人生観やオレの生き方を非難するのも文句を言うのも大いに結構、いつでも受けて立つし誰かに何かを言うのはそのヒトの、そのAIの自由だ。
けど、俺が生きてる証や俺の人生の貴重な時間を、オレ以外の何人にも、纏めたり取り上げたり、絶対にさせないぜ!?と、52歳にもなって大人気なくとんがってみた。
2019年がもうすぐ終わる。
ここらで、もう一つ二つ、とんがりまくって本来の自分をもう一度さらけ出しておこうか?と思ったクリスマス・イブ。
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