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2018年1月18日木曜日

振り出しに戻ろう

最初はホームページビルダーでした。
2002年とかだから、もう15年も前のこと。
ホームページを作って、そこに1ページずつ記事を書いて追加していく。

当時もブログってあったんだろうけどその頃はなんかピンと来てなくて、1ページ作ってはサーバーへアップして、目次も書き換えて、とその繰り返しでした。
アクセス解析なんて出来る状況ではなかったので、CGIでアクセスカウンター設置するのに四苦八苦した覚えがあったっけ^^。
それでも、日々少しずつ読んでくれる人がいて、カウンターが上がっていくのが嬉しかった。

そのうち「毎回同じHTMLコードを書くんなら、その部分を自動ではき出すプログラムを作れば飛躍的に管理しやすくなるんじゃないか?」って思いついて、当時勉強し始めていたPHPなんかをいじくり倒して、自動で更新するプログラムなんかを作ってみたりしたけど、その数カ月後に「それはCMSと言って、すでにそういうシステムは開発されて無料提供までされるようになってるんだ」ということを知り愕然としました。
「自分が思いつくようなことは、先見の明があって僕なんかより遥かに優秀な人達はすでに形にし終えて、次の次元へ進んでいるんだな」と愕然とし、こういう事にいちいち苦心するのが馬鹿らしくなってやめてしまいました。

やめたその頃・・・2006年頃から・・・自分で1から作らずにいわゆるブログというサービスに乗っかって、とにかく情報をネットに載せるというのを本格的に始めました。ネット上でコミュニケーションをとるのが結構楽しいということに気づいたのと同時に、なんとなく世間が「誰も彼もがみんなおんなじ事をおんなじようにやり始めて、なんとなく気色悪い」感じがしたのもこの頃。

その後、僕の中では2009年頃から一気にネット、Webというのが周囲で浸透し始めて、気がついたらあっというまに周りがツイッターを始め、そうかと思ったら2年もしないうちにみんな揃ってfacebookへ民族大移動。
はてはブログの運営会社スタッフの方たちまで自分たちのサービスよりSNSをオススメするまでに至って、なんだか「流行りに乗ることが社会で認められるための必要事項だ」と言わんばかりの空気に違和感を感じながらも、「仕事柄やらないわけにいかない」という理由をくっつけて続けていました、ダラダラと。

けど、最近ふと感じました。

ホームページの黎明期に1ページずつシコシコ日記を書いていたあの頃。
SNSに様変わりしたとは言え、毎日せっせと情報をアップする今どき。
僕のネットに携わる習慣は2002年頃からきっと何も変わってない。

それなのに、ツールが便利になって、世間の状況が誰でもみんなSNS、って感じになって僕の中ですっかり変わってしまったことがあります。
それは、「一つ一つの記事がものすごく軽くなってきた」ということ。

なんか、一生懸命言いたいことを文章に起こすという努力を、この10年間位の間あんまりやっていなかったきがするなあ~。
10年近く前に書いたいくつかのブログ記事は、今でもキーワードで検索すると上位に上がってきて、毎日何人かの人の目にふれているらしい。
そんな・・・10年たってもまだ読んでもらえる(それがほんの数人とはいっても)、そんなコンテンツ、ここ最近きちんと書いたり作っていない気がする。

ちょうどよい機会だと思っているんです。。
何がちょうどよいって、年明けから再び始めた「哲学書を読む」作業。

写真やイラストで思考を空回りさせながら分かった気になるような読書じゃなくて、1行1行、意味と行間のメッセージを時間をかけてゆっくり読み解く作業。
そこには「手軽にチョちょっと発信」ということとは根本的に異なるスタンスが必要だ・・・それが良い機会だと思うんですよね。

15年ぶりに、振り出しに・・・いちいち手間のかかる文章を、いちいち書いてはアップする作業をしていたあの頃に戻って、いろんな事をもういちど確かめてみようと思います。

いえ、SNSをやめるわけでも、ブログ一辺倒になるわけでもありません。
発信のしかたを、ね、ちょっと変えようと。
そして受信の仕方も、思い切って変えてみようかと思います。

ちなみに付け加えて書いておくと、こういう思いに至ったのは音楽のことも思い出したから。

そんなに才能もセンスもなかった僕が、あんなスゴい人たちと一緒のバンドをやれていたのは、スマートに効率よくセンスを磨いたんじゃなくてその真逆。
いちいち面倒な運指の練習を傍から見たら「アホかお前!?」というほどひたすらやっていた気がする。
ひとつのフレーズをすんなり弾けるようになるために、いろんな基礎練習をやって、ホントに真剣に向き合って、「息をするのと同じくらい」に音楽をやっていたから、なんとか「拙い演奏」程度のレベルで弾けていたんだと、そう思っているんです。(効率よくスマートにやろうとしていたら、誰にも見向きもされない酷い状態のまま成長もできなかったと、今にして本気でそう思ったりするんです^^;)

今の、それなりに明日を考えて生きられる程度の自分の基礎は、まともに人に話したら「ホントにお前は才能もセンスも、そして上手に効率よくやるという器用さもまるでない能無しなんだな」と思われて仕方ないような、いちいち面倒なことをいちいち面倒な風にやっていたからこその今だと、そう思ってるんですよね。

そこへ、いちど戻ってみようかと^^・・・そう思ったりする昨日・今日。

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