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2016年3月25日金曜日

このカップを見るたびに、中学校の国語の教科書に載ってた文章を思い出す。

器の美しさは、貴重な調度品や美術品の中にあるのではない。
大量に作られ、日々使われ続けるものに備わる機能美や素朴な強さの中にある。

たしかそんな内容のことだったと思う。

このカップ、取っ手の部分が他のカップとほぼ同じ形。
つーか、ウチにあるカップのほとんどすべての取っ手がこのカップと同じ形同じ大きさだ。
中指と人差し指を入れて親指を添えてカップを持つのにちょうど良い。

どのカップも共通してるのは大して高価な物じゃないという点だけだ。
取っ手の部分がほぼ同じ形というのは、意図的にそうした訳じゃないだろうけど、かと言って偶然の一致ではないだろう。

理由があってこの形になってる。そしてその形が毎日の使用にピタリと来るように形づくられている。
そういうことが、日々の中の美しさなんだろうなあと思ったりする。

なんの変哲もない凡百の形や機能の中にこそ、見るべき本質がある。
それは器や道具に限ったことではないのだということに、30代ころにようやく気づきはじめた。

人も地域も、文化も歴史も、同じだ。
突出して目立つものや派手なエピソード、希少だと言われる事象の中にではなく、一見すると平凡で個性(ここで言う個性は昨今使われている間違った意味での個性=他とは決定的に違う表層的な差異)のないように思えるモノやコトのなかにこそ、本質的な美や価値が在る。

その事を思い違いせずに生き、その事を軽んぜずに仕事をすることが、本当は最も価値が高いことだという事を、あらためて思い起こした。

同時に誰に注目されることがなくても、この考えや生き方は貫いていきたいと、その気持ちを更に強くした年度末の平日の朝でした(^_^)v

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